調理師学校の講義ノート 第11回

日本におけるフレンチの夜明け —— 「文明」としての料理と、翻訳の苦闘

 

 

こんにちは、料理設計家の秋本です。

前回は、フランス本国で起きた「ヌーヴェル・キュイジーヌ」という劇的な変化についてお話ししました。今回からは舞台を日本に移し、私たちが向き合っている「日本のフランス料理」がどのようにして始まったのかを紐解いていきます。

 

今でこそ東京は世界屈指のグルメ都市ですが、その始まりは「美味しさの追求」以前に、国家としての切実な戦略がありました。

 

1. 外交という「戦場」で選ばれたフランス料理

明治時代、鎖国を終えた日本にとって、西洋諸国と対等に渡り合うことは急務でした。そこで選ばれたのが、当時すでに世界の外交プロトコル(国際儀礼)の共通言語となっていたフランス料理です。

 

文明開化の象徴: 鹿鳴館に代表されるように、西洋式のマナーでフランス料理を嗜むことは、日本が「文明国」であることを証明する手段でした。

 

「正解」を模倣する時代: この時代の料理コンセプトは、いかに本場のフランス料理を忠実に再現するか。それは、料理人にとって「国の威信」をかけた戦いでもあったのです。

 

2. 「水と食材」の壁を越える知恵

しかし、レシピ通りに作ろうとしても、そこには決定的な違いがありました。

 

水の違い: 硬水のフランスに対し、日本は軟水。同じ素材を煮込んでも、旨味の出方やソースの仕上がりが全く異なります。

 

食材の不在: 西洋野菜やハーブ、バターやクリーム……。当時の日本には存在しないものばかりでした。先人たちは、手に入る食材を代用し、日本人の口に合うように「翻訳」しながら、少しずつ料理設計を書き換えていったのです。

 

模倣から工夫へ: ただ真似るだけでなく、日本の風土に合わせていかに「フランス料理らしく」見せるか。この時の苦労が、日本人の持つ繊細な観察眼とアレンジ能力を磨くことになりました。

 

3. 現代のメニュー開発に活かす「黎明期の精神」

私たちが今、当たり前のようにバターを使い、フォアグラを焼けるのは、この時代の先人たちが道を切り拓いてくれたおかげです。

 

「なぜこの料理なのか」という背景: 明治の料理人たちが「日本のために」一皿を設計したように、現代のメニュー開発においても、その料理を出す「理由」や「社会的背景」を考える視点は欠かせません。

 

環境への適応能力: 与えられた条件の中で、いかにして最高の結果を出すか。食材の高騰や環境の変化に直面する現代こそ、黎明期の料理人たちが持っていた「現場の知恵」に立ち返る時かもしれません。

 

おわりに:私たちは「高い土台」の上に立っている

日本のフランス料理は、決してゼロから自然発生したものではありません。「追いつこう」と必死に正解を求めた数世代にわたる修業と翻訳の歴史の上に、今の私たちの自由な表現があります。

 

皆さんが学んでいる技術は、150年以上の時間をかけて、日本という土壌に最適化されてきたものです。その重みと価値を、ぜひ一皿の上に表現してほしいと思います。

 

あなたが作るフレンチは、日本というこの場所で、どのような新しい物語を紡いでいきますか?

 

次回予告:昭和の巨匠たちと、独自の進化 —— 「日本語で語るフレンチ」へ

次回は、戦後から平成にかけて。いよいよ日本人が「本場」を凌駕し始める、熱い時代のお話です。世界が驚いた「日本のフレンチ」の核心、そのキラーメニューの誕生秘話に迫ります。

ではまた🍃

 

料理には、言葉にできない「おいしさ」と、言葉にすべき「理由」があります。

FRSコンサルティングでは、オーナー様の想いを「料理の設計図」として整え、現場での再現性を高める並走を行っています。

 

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